一人ひとりが、かけがえない存在

算数のことも、数学のことも、そして障害のことも知らなかった私が、塾講師人生をスタートしたのは十年前。義務教育だけは受けた算数数学はとにかく、障害のある子ども・若者については本当に無知であったと思います。高校時代に脳性マヒの悪友がいました。しかし、友人づきあいをするうえでそれは問題にならず、結果的に障害という言葉は関心の埒外だったのです。

 

そんな私が仕事をしているこの遠山真学塾は、ご縁のあった数学者の遠山啓先生からお名前を拝借しています。先生の最晩年のエッセイ集『かけがえのない、この自分』(太郎次郎社刊)に、障害ある子に先立たれた母が発した次のような言葉があります。

 

「あの子が死んでしまったことは悲しい。でもあの子が長生きしても、幸せになれるかどうか自信がなかった」

 「死んだほうが、あるいは良かったかもしれない」

 

1978年に発行されたこの著作は先生の創作ではありますが、当時の世間一般の視点を代弁したものでしょう。亡くなった我が子に、死んだほうがよかったと言わせることの根源には何があるのだろう。先生のエッセイはたいてい読みやすいのですが、このくだりだけは、私の中に重たくのしかかってきたのをおぼえています。

 

これまで障害について考えてこなかったからなのか、塾で出会う子どもたちのことを考えさせられたからなのか、この重たい感触の理由は今でもよくわかりません。しかし、障害のある方々とその家族、そして障害そのものに思いをはせるようになったキッカケは、塾で仕事をする直前に読んだこの本でした。

 

このエッセイが著されてから幾年月、障害のある人びとへの社会の眼差しに変化はあったのでしょうか。たとえばインクルーシブやバリアフリーのように、彼らの教育や生活の環境を改善しようとする言葉は増えたように思われます。しかしながら、2016年の相模原事件などは、障害のある人びと自身の尊厳がいまだ認められているとは言いがたいことの証左ではないでしょうか。この事件の犯人は、車いすの利用者を「気の毒な存在」である、と語っています。気の毒という一見優し気な感情が大量殺人に結び付く不可解さは、人間の尊厳を理解することの難しさを示しています。

 

では尊厳について、私たちはどのように考えればよいのでしょうか。先生は前掲のエッセイで、ご自身の体験としてこう語られています。

 

「あの遠い天の川の向こうまでいっても、このおれと同じ物体は一つもないのだ。すると、この広い宇宙のなかで、このおれはかけがえのない存在なのだな」

 

 先生のこの言葉は、道しるべになるように思います。優しさや憐憫の情は社会的知性として大切にすべきです。しかし社会が相互の関係で成り立つものである以上、他者との軋轢は避けて通れません。だからこそ自分を奮い立たせ、同時に相手を敬うために、誰もが唯一無二の価値ある存在であることを認めあっていくべきなのではないでしょうか。

 

 遠山真学塾という小さな塾の使命は、もちろん子どもたちに楽しく算数や数学を学んでもらうことです。しかし、没後四十年を迎えた今、遠山先生が行間からささやきかけてくるのです。

この世に生を享けた一人ひとりが「宇宙のなかのかけがえのない存在」であることを世の中に訴え、子どもたちに伝えていく。それを忘れてはいけないと。

(小笠卓人)